2019年12月31日火曜日

私 v.s. ぼく

*English translation

12月31日、おおみそかです!2019年はどんな年でしたか?

今年最後のテーマは基本中の基本とも言える「私」「ぼく」「おれ」の使い分けについてです。早速ですが、簡単な質問。「私」-「ぼく、おれ」を性別からどうやって使い分けますか?
私:女性が使う。男性が仕事の場面で使う。
ぼく、おれ:男性が使う。
では、男性は「私」-「ぼく、おれ」をどうやって使い分けるのでしょうか?上にもあるように、男性は仕事の時には丁寧さを出すため、「私」を使います。「私」を使うと、働いている社会人という印象を与えるので、学生は使う必要がないと思います。
しかし、「ぼく、おれ」を使うのは男の子や男子学生だけという単純な区別にはなりません。
ぼく、おれ:男の子が使う。大人の男性も使う。 
上記の理解が大切です。これを知らない外国人が時々いて、特に外国人男子高校生や大学生は自分を大人っぽく見せるために、「私」を使いたがる傾向があると思います。でも、高校生や大学生が「私は・・・」と話し始めると、やっぱり合わなくて変な感じがします。男子学生のうちは「ぼく、おれ」を使って、社会人になったら「私」を使い始めるのがいいと思います。しかも、社会人になったからといって、日本人男性がいつも「私」を使う訳ではありません。彼らは仕事の場面では「私」、友達や家族と話す場面では「ぼく、おれ」という風に使い分けています。
ぼく、おれ:男の子、男子学生がいつでも使う。大人の男性も友達や家族と話す時に使う。
私:大人の男性が仕事の場面で使う。 
次に、「ぼく」-「おれ」の使い分けについてです。「おれ」は「ぼく」よりラフな印象を与えますが、「ぼく」がかわいくて、女の子っぽいという訳ではないので、この点も誤解をしないようにしてください。
日本人の男の子や男性がどっちを使うかは、個人の好みの問題や、どっちが自分らしいか、によるのでしょう。そして、やはりネイティブスピーカーなので、適切な選択ができて、彼らがどっちを使っても私は違和感を持ったことがありません。
でも、正直に言うと外国人男性が「おれ」を使うのを聞くと、「えっ?」と感じることがあります。それは、「おれ」が持っているラフさのためでしょう。だから、「ぼく」を使うのが安全かなと思います。(私の個人的な印象かもしれませんが。)

カジュアル表現は丁寧な表現より簡単だと思いがちですが、実は難しいんですよ。丁寧語の難しさは単語、文法、使い方などの複雑さのためです。一方、カジュアル表現の難しさはニュアンスや雰囲気を理解することにあります。

「おいしい」-「うまい」-「うめ~」、"delicious" と言いたい時の表現の使い分けにも「私、ぼく、おれ」との共通点があります。
おいしい:だれでも使う。
うまい:男性的だが、女性も使う。ラフな印象。
うめ~:女性は基本的に使わない。男性が言っても多少品のない感じに聞こえるが、状況や言い方によっては、問題ない。 
でも、「うめ~」という表現をぴったり使える場面を非ネイティブスピーカーが選択するのは、難しいでしょう。それなら、男性は「おいしい」または「うまい」、女性は「おいしい」と言うのが最適でリスクがありません。

でも、こんなことを書くのは本当は心が痛みます。今の世の中では「男らしさ」や「女らしさ」の質を限定するべきじゃないと思うからです。だから、結局は自分が使いたい単語や表現を選ぶべきですが、同時に、だれと話しているか?どんな場面か?を考えて、どんな印象を話し相手に与えるか?を知ることも大事だと思います。

会話の雰囲気を理解して、どんな単語や表現が使われているかを学ぶにはテレビや映画を見るのがいいと思います。私のおすすめは『アグレッシブれつこ』(Agguretsuko) です!性格や社会的ポジションが異なる色々なキャラクターが出て来るので、日本語の使い方も様々です。その上、日本文化も知ることができますよ。冬休みに見て、楽しく日本語を習うのもいいかもしれませんね。

今年最後の日にブログ書くことができて、良かったです!英語のブログは全然書いていないので、後悔ばかりですが・・・
では、みなさん、良いお年を!2020年にまたね!!

2019年11月17日日曜日

後で v.s. 後に

皆さん、こんにちは。秋が深まってきましたね。東京でも紅葉が進んでいます。そして、さわやかな青い空が広がり、とても美しい季節です。
10月は日本語についてたくさん考えて、たくさん書く仕事があったため、ブログを書く時間がありませんでしたので、11月に2回投稿できると良いのですが・・・

先日「後で」と「後に」の違いは何ですか?と質問をもらいました。基本の表現で日本語ビギナーでも知って使っていますが、私は今までちゃんとその差について考えたことがありませんでした。それはどっちでも良い場合がほとんどだからです。
それなら、一つしか使えない場合を考えてみればいいんだ!と気がつきました。「後に」が使えなくて、「後で」しか使えない表現は「また後で」です。
  • また。(言える)
  • また。(言えない)
ここで「後で」が指す「後」はいつのことかわかりません。今から後ならいつでもあり得ます。つまり、「後」の指す時間には幅があります。
  • 話そう。
  • ちょっと時間がある?
  • 母:部屋のそうじをしなさい。→子ども:やる。
どの例も「後」が示す時間は今から後というだけで、漠然としています。

これに対して、「後に」の「に」は「何かが行われる時」を表すので、「いつ?」という質問と一緒に考えてみるのがいいでしょう。
  • 山田:私たちは次いつ会う?→田中:私の出張の会おう。
会うタイミングは出張の後と特定しています。逆に言えば、会う前に出張があります。
  • 患者:この薬はいつ飲めばいいですか?→医者:晩ご飯を食べた、飲んでください。
医者は薬を飲むタイミングを教えています。薬を飲む前に晩ご飯を食べます。

「いつ」が無い文を見てみます。
  • 母:まず宿題をして。ゲームはそのして。
母はゲームができるタイミングを伝えています。ゲームの前に宿題をします。

ここで「また後で(会いましょう)」の例に戻ると、「また後に」が使えないことがよくわかります。「また後で」は今より後というだけで、何かの後に会うわけではないからです。「また後で」は「前にすることに言及して会うタイミングを特定する」ことはしていません。

このような差があると私は考えていますが、皆さんに強調したいことは、次の文が間違いではないことです。
  • 私の出張の会おう。
  • 晩ご飯を食べた薬を飲んでください。
  • 宿題をして。ゲームはそのして。
ただ違いは何ですか?と聞かれれば、上記のようなニュアンスの差があるということです。そして、その差はとても小さいと思うので日本人でさえも適当に使っていると思います。

では、もう一つ例を出します。
  • 上田:いつテストが始まるの?→木村:一週間後に始まるよ。(「後に」の読み方は「ごに」または「あとに」です。)
これは、上田はテストがもうすぐ始まることを知っていて、「いつ始まるか?」が知りたい文です。つまり、会話の焦点はテストのタイミング、今から一週間後です。

一方、「今から一週間過ぎたら、何があるか?」という質問で「テストがある」と教えたい場合は次の文になります。
  • 一週間後でテストが始まる。(「後で」の読み方は「あとで」です。)
それで、「後で」の文は「後で何が行われるか?」ということにフォーカスがあるとも考えられます。
  • プレゼンテーションの後で、皆様にお知らせがあります。
こう言うと、「皆様にお知らせがあります」が最も伝えたいことかなと思います。しかし、先ほども書いたように「プレゼンテーションの後に、皆さまにお知らせがあります。」は使えないという意味ではないので、それは忘れないでください!








2019年9月28日土曜日

のに・・・

皆さん動物が好きですか?私はペットを飼ったこともないし、動物は好きでも嫌いでもいのですが、私の周りには動物好きが多くて、9月はドッグシッターを一週間、キャットシッターを一泊頼まれました。やっぱり、動物は愛らしいですね。一緒にいるとすぐに可愛く思えてきました。来月は一週間のキャットシッターをします!

さて、日本語の話をしましょう。生徒たちから「のに」の意味はわかるけど、「文章がそれで終わるのはわかりにくい」と、よく聞きます。たしかに、文の構造が逆になったり、文の後半を言わないで終わったりするパターンは会話でよく使われます。でも、日本人の会話のスピードについて行けるようになるまでは、「のに」の前後を素早く正しく理解するなんて、難しいですよね。

それでは、今日は例文と文の形を並べて、ていねいに意味を考えましょう。
携帯電話を買ったばかりなのに、もう壊れた。【A のに、B。】
事実 A の後に起こった結果 B に対して、予想外、または満足できないという気持ちを表す場合に、「のに」を使います。しい携帯がすぐに壊れることは予想外ですね。そして、絶対に満足できません。この文のパターンは「のに」のきれいな使い方で、教科書で習うものです。

一方、話し言葉に出てくるパターンは普通、文が2つに分かれて、A と B の順序が反対になりますが、意味は同じです。
山田: 携帯が壊れた。買ったばかりなのに。【BA のに。】 
次からの例文は二人が話しています。 
① 
山田: 携帯が壊れた。【B。】
田中: (あなたは携帯を) 買ったばかりなのに。【A のに。】
田中が山田の残念な気持ちを代わりに述べています。そして、B を再度言う必要はありません。
 山田と田中は昼ご飯を食べにラーメン屋に来ました。人気店なので、11:00に来ました。
山田: わっ!このラーメン屋、もう大勢並んでいる!! 【B。】
田中: 早く来たのに。【A のに。】
話し手は自分の気持ちを早く表したいものです。それで、びっくりしたことや、不満を強調するために、それ (B) を最初に言って、その後でなぜそう思うかという背景 (A) を述べながら B の部分をサポートしています。
山田: 私たちのチームはあと少しで勝てたのに。【A のに。】
田中: 残念だったね。
例③は B がありませんが、容易にその内容が予想できますね。山田も田中も満足していない結果なので、このチームは負けた。B の部分を言わないパターンです。
この文を全部言うと、次のようになります。
私たちのチームはあと少しで勝てたのに、負けた。【A のに、B。】
山田:昨日のパーティーは楽しかったね。
田中:うん、鈴木さんも来れば良かったのに。【A のに。】 
③と同様に B が述べられていないので、それは何か推測してみましょう。「~ば良かった。」(It would have been better if someone had done...) はそれ自体が、事実に対して後悔や不満を表す文なので、田中の文から「鈴木は楽しいパーティーに来なかった」ことがわかります。それで、田中はそのことを残念に感じているのは明らかですが、それだけでなく「鈴木がいれば、鈴木も楽しんだだろう」という気持ちも入っているのではないでしょうか。

次の例も「~ば良かった」を含んでいます。
⑤ 
山田: 田中さん、先週末 引っ越しだったんでしょ?
田中: うん。
山田: 言ってくれれば良かったのに。【A のに。】
この例は①と②と③と④ほど、A と B の関係が直接的ではないでしょう。
⑤で山田の不満 (B) は、田中が引っ越しのことを言わなかったことと、自分が手伝えなかったことの二つだと思います。会話の中に「手伝う」という単語は出ていませんが、文脈からそれが推測できますね。完全な文は次のようになるでしょう。
あなたが引っ越しのことを言ってくれれば、私は手伝ったのに、あなたが言わなかったから、私は手伝えなかった。
「~ばよかったのに。」を聞いたら、それは "should have done, but" だと考えるといいでしょう。そうすると、「のに」の後に続くはずの部分がわかると思います。「日本語は "context" の言語だ」という外国人がいますが、その通りですね。


2019年7月15日月曜日

わすれた v.s. わすれていた

先月は「わすれそうだった:I almost forgot. 」という文について書きました。その後、「わすれた」と「わすれていた」の違いは何か?という質問をもらったので、今月はそれについて考えましょう。

まず、「~た」と「~ていた」の使い方を確認します。
  • 太っ:体重が増えた。ある特定の時に起きた変化。
  • 太っている:体重が重い。今を含む期間の状態。
  • 太っていた:体重が重かった。今は含まない過去の状態。(今は太っていない。)
  • 起き:目が覚めた。ある特定の時に起きた変化
  • 起きている:目が覚めている。今を含む期間の状態。(今は寝ていない。)
  • 起きていた:目が覚めていた。今は含まない過去の状態
上の二つの例と同じように、「わすれる」を分析しましょう。
  • わすれ:覚えていたことが頭の中から消えた。
  • わすれている:覚えていたことが頭の中にない。(今、覚えていない。)
  • わすれていた:覚えていたことが頭の中になかった。(今は思い出した。)
これらを見ると、「~た」は特定の時間に起きたこと、つまり瞬間的で、「~ていた」は過去の状態、つまり時間の幅があります

それで、「わすれた」は友だちの名前や覚えていた漢字の記憶などが急に消えたという場合に使うのがいいでしょう。
東京駅から渋谷駅まではいくらだっけ?わすれた! 
家を出る時、窓を閉めるのをわすれた!(「家を出る時」という特定の時間に、窓を閉めなかった。)
これに対して、「わすれていた」は、例えば日曜日の朝母に電話をする約束があったのに、その約束に気が付いたのは日曜日の午後だった。予定を過ぎていて、いつわすれたかははっきりしませんが、その時から「気が付く」までに時間の幅があります
30日までに家賃を払うのをわすれていた!今日は2日だ!
 友だちの誕生日は昨日だったのに、わすれていた!今日思い出した!
ただ、「家賃払うのをわすれちゃった!」とか「友だちの誕生日をわすれゃった!」という言い方もできますが、厳密に言うと、「わすれていた」の方が正しいのだと思います。 


2019年6月24日月曜日

直訳できないー I almost forgot!

梅雨(つゆ)の最中の東京です。梅雨は梅の実が大きくなる頃に雨が降ることから、この名前になりました。今スーパーに行くと、香りの良い緑の梅(日本語では青梅)がたくさん売っていますね。その隣には梅酒や梅シロップを作るための容器やアルコール、はちみつなども置いてあります。青梅からすっぱい梅干しを作る人もいます。

さて、今日は「直訳できない」シリーズを一つ増やそうと思います。
"I almost forgot." を「ほとんど忘れた」と訳してしまう人はいませんか?実はこれは正しくありません。「ほとんど忘れた」は別の意味になってしまいます。
  • 覚えた漢字をほとんど忘れた: I forgot almost all of the kanji I had remembered.
  • 覚えた漢字を全部忘れた:I forgot all of the kanji I had remembered.
「ほとんど」が量や数に対して使われる場合は、「全部」が100%なら、「ほとんど」は80%ぐらいを示します。しかし、"I almost forgot." は忘れた漢字の数について説明しているわけではありませんね。
"I was very close to the point of forgetting something." 
このように "Something is (was) nearly happening." の感じは「そう」を使うといいでしょう。教科書で習った例文を思い出してください。
  • 雨が降りそうです。:今から雨が降る可能性がある。
  • 雨が降りそうだった。:雨が降る可能性があった。でも、降らなかった。
"I was very close to the point of forgetting something, but I remembered it at the last moment. " この状況はまさに「~そうだった」と同じです。それで、"I almost forgot." は「忘れそうだった。」と訳すことができます。

では、次に日本語の文から考えてみましょう。
「彼女はたおれそうだった。」これはどんな状況でしょうか。

この女性は気分が悪くて、ふらふらしているみたいです。今にもたおれるかもしれません。つまり、「彼女はたおれそうです。」(She is nearly fainting.) でも、水を飲んだり、座ったりして、結局たおれませんでした。その場合に「彼女はたおれそうだった。」と言います。「たおれる」可能性があったけど、それは起こらなかったという意味です。

他の例もあげるので、場面を想像してみてください。
交差点で2台の車がぶつかりそうだった
くしゃみが出そうだったけど、がまんした。
彼は海でおぼれそうになった。(「そうになる」も使える。)
疲れて、死にそうだった。 
最後の例は大げさ (exaggerating) な言い方ですが、けっこうよく使われると思います。



2019年5月22日水曜日

「たら」と「なら」

もう数週間が経ってしまいましたが、日本に住んでいる方は楽しいゴールデンウィークを過ごしましたか?
私はゴールデンウィーク中に仕事はほとんどしませんでしたが、ふだん忙しくて考える時間がないことを考えたりしました。その一つがこのブログについてです。長い間このブログを書いていて、昔書いたことは私の考えが足りなかったり、今は考えが変わったりしたこともあります。それで、これから少しずつ前の投稿をなおしたり、改善したりするつもりです。それだけではなく、新しいテーマで書くことも続けます。といっても、二つを毎月することは難しいので、どちらか一つになりそうです。

今回は最初の書きなおしです。テーマは「たら」と「なら」の違い。「たら」「なら」に限らず、日本語には "if" の表現が多いのでややこしいですよね。

では、まず「たら」のニュアンスを感じるために、「時」と「たら」を比べます。
「北海道出身のAさんは大学時代の友だちのユキに会う」という場面設定をします。
 B:Aさん、いつユキさんに会うの?
 A:今度 北海道に帰った時に ユキに会うよ。
この会話では「帰る時」が大事です。「時」に焦点があります
B:Aさん、今度 北海道に帰ったら、何をする?
A:北海道に帰ったらユキに会うよ。 
「たら」は "What if?" の感じがあり、条件の後で何をする?という「結果」に焦点があります
 日本に行ったら、何をする?
長い休みがあったら、どこに行く?
上の質問からも "What if?" の感じがわかりますか?
そして、「たら」の「た形」には完了の意味があるので、その条件を達成した後で、後半の文が来るという時間的順序も大切です
日本に行ったら、すしを食べよう
長い休みがあったら、アイスランドに 行く。 
【2つの行動の時間的順序】日本に行く→すしを食べる、長い休みをもらう→アイスランドに行く
続いて、「なら」について。
C:Dさんは日本に行ったことがあるよね?私は夏休みに日本に行くかも。
D:いいね!日本に行くなら、おいしいラーメンを食べてね。
「なら」は "If that's the case," の感じがあります。「あなたが言ったことが本当なら」 (If the thing you said before is true, ) という「条件」に焦点があります
E+F:今、私たちは渋谷にいるよ。Gも来る?
G:EとFがいっしょにいるなら、私も行く!
これはEとFがいっしょにいるという現在の状況を受けて、「それが事実なら/その条件があれば」Gは行くので、こんな英訳はどうでしょうか? ”Are you guys are actually together in Shibuya? If so, I'm coming." 「なら」は前に言ったことを条件にするので、"if so" =「それなら」という使い方も便利でしょう
いっしょにいるHさんが暑そう。
I:(Hが)暑いなら、 冷たいものでも飲もうか?
Hが「暑い」と言ったわけではありませんが、Iは現在の状況を受けて、「あなたが暑いことが事実なら」という意味です。
現在の状況について仮定する場合は、色々な "if" の表現の中で「なら」が一番ぴったりだと思います。

 次に、「たら」と「なら」を同時に考えてみます。「たら」と「なら」の文が同じ意味にはならない場合。
JとKが同じ部屋にいます。Jはかばんからタバコを取り出しました。
K:Jがタバコをすうなら、外に行ってください。 (Are you going to smoke? If so, please go outside first.) 
【2つの行動の時間的順序】 外に行く→タバコをすう
「たら」と反対の順序です。「タバコをすうこと」は「外に行く」前に完了していないので、た形(すった)を使わないことがポイントです。「たら」はこの場合に使いません。
これに対して、「なら」は時間的順序については自由です。C+Dの例文「Cさんが日本に行くなら、おいしいラーメンを食べてね。」では「日本に行く」→「ラーメンを食べる」という時間的順序ですが、問題なく使えます。

次の例で「たら」も「なら」も両方使うことができますが、印象は少し異なります。
L:わー、この写真の本きれい!買いたいな。
M:Lが買ったら、私にも見せて
L:Lが買うなら、私にも見せて。 
「たら」の文は「買う→見せる」がセットになっている気がします。「買った後に見せて」というリクエストが強い印象があります。
これに対して、「なら」の方は、「本当に買うの?それなら、 私も見るチャンスがある」という弱い印象でしょうか。
どちらも使えるので、小さい差を気にし過ぎるのも良くないと思います。他の "if" の表現も含めて、最初は使えない場合の規則を 覚えていった方がいいかもしれませんね。

2019年4月30日火曜日

「自分で」と「ひとりで」

日本では10連休のゴールデンウィークが始まりました真っ最中です!うれしいですね。日本に住んでいる皆さんは何をしますか?私の周りの友だちは遠くに行かず東京で休む人が多いですが、外国人の生徒たちは旅行をする人が多いですね。やっぱり休みの過ごし方がちがうようです。
そして、今日は平成時代最後の日。平成最後の晩さんは何にしようかなあと考えているところです。

さて、今日のテーマは「自分」。
「自分=myself」必ずしもこうではありません。自分は myself, yourself, himself, herself  何にでもなり得ます。つまり、文の主語に合わせて、「自分」が示す人は変わるのです。
  • 自分でこのバッグを作った。:自分=私
  • あなた自分で着物が着られる?:自分=あなた
  • 自分で何もしないで、人にやらせる。:自分=彼
そして、会話の流れから「自分」がだれのことか、理解する必要もあります。
  • ごめん、ごめん!自分が悪いんです。
話し手が謝っているので、「が悪いんです。」(I'm bad./That's my fault.) ということですね。
  • ねえ、なんで怒ってるの?自分が悪いんでしょ?
この場合は "Why are you angry? That's your fault, isn't it?" と話し手が聞き手を責めています。
  • あなたは私に宿題を手伝わせているけど、これは自分の宿題でしょ?
この文も同様に、話し手がだれの宿題をやっているのかがわかれば、「自分の」が指す人も明らかになります。文脈の理解が大事だというわけです。

でも、日本語には「私自身、あなた自身、彼自身、彼女自身」という単語も存在します。これらは全然使われない訳ではありません。
これは私自身の問題です。(This is my own problem.)
このようにも言えますが、「自分」の方が多用されている気がします。みなさんも知っていると思いますが、日本語では「私、あなた、彼、彼女」のような人称代名詞 (personal pronoun) がもともと使われることが少ないですね。「自分」を指す人がだれにでもなり得ることはこれに関係しているのかもしれません。
鈴木孝夫著書の『ことばと文化』(*1)の中でも現代日本語について「できるだけ会話の中で人称代名詞を使わないで済まそうとする傾向が今でも強いのである。」と書かれています。
みなさんはこれについてどう思いますか。

それから、生徒と話していると、「自分で」と「ひとりで」の混同が多いことにも気がつきます。
  • 私は自分で京都に行った。
生徒がこの文を言うと、言いたいことはわかりますが、なんだか不自然な気がします。きっと "I went to Kyoto alone." と言いたいのかなと思います。それなら、「私は京都にひとりで行った。」ですね。「友だちと行かなかった、私だけだった」と、人数について言いたい場合は、「ひとりで」を使いましょう。
  • 私は自分でホテルに電話をかけて、予約をした。
これなら、正しいです。

上の文の場合、「自分で」には「私の力で何かをする」という意味です。日本語で電話をかけて、話すのは難しいことですよね。それを他の人の手伝いなしでできたら、「自分でした!」と自慢できます。

ただ、「こんなにたくさんの料理をひとりで全部作ったの?!」という場合は「あなただけで作った?!」という意味も、「あなたの力だけで作った?!」という意味も含んでいます。「料理を作る」という行為が技術や労力を必要とするものだからでしょう。それに対して、「京都に行く」は新幹線などの乗り物に乗ればだれでも簡単に行くことができる行為ですね。そのため、「自分で京都に行った」は違和感があるのでしょう。
子どもが「(親の手伝いなしで)ひとりでできる!」と言うのも同様のニュアンスがあります。もちろん「自分でできる」に言い換えることも可能です。

*1 鈴木孝夫、『ことばと文化』、岩波書店、2005年

それでは、さよなら平成!こんにちは令和!

2019年3月31日日曜日

なんですが・・・

東京には桜の季節が来ましたね。明日からはもう4月。早いものです。昨日は千葉の南の方へ行き、海や山や海鮮料理、そして温泉を楽しんで来ました。のどかな里山(さとやま)でも桜は咲き始めていて、美しかったです。「里山」は日本の原風景とも言われています。日本に多い山と田んぼから成る里山は日本中に渡って存在するのでしょうが、もちろん現代では失われてしまった里山も多いのでしょう。「里山」ってきれいな言葉ですね。

さて、今日は日本語の基本、助詞の「は」から始めましょう。
 みなこです。
「私」はこの文のトピックです。つまり、「は」はトピックマーカーで、これから「私」について話しますよーということを教えてくれます
明日は 公園で さくらを 見ます。
「明日」に「は」は必ずしも必要ないですが、「明日は」となると、「明日について話すよ」というニュアンスが出ます。


時々このブログで私が引用している Jay Rubin さんは次のように書いています。(*1)
Notice that wa builds suspense, arousing curiosity in the reader or listener about what is to come. If the speaker were to pause at the wa, the listener's brain would whisper subliminally, "Yes, yes, and then what?"

聞き手の気を引いた上で、話し始めるという日本人って、なんだかおかしいですね。


これに似ている他の例は「Xなんですが、」と話し始めるパターン。先日生徒に質問されました。
YouTube を見ていたら、日本人が「このコーヒーメーカーなんですが・・・」と話し始めた。なんで「なんですが」を使っていますか?


「なんですが」の機能は、「この新しいコーヒーメーカー、またはこのお気に入りのコーヒーメーカー、またはこのおすすめのコーヒーメーカー、について話しますよ!」というイントロダクションです


「なんですが」の面白い点は「注目してくださいね!」という機能がありながら、なんだか控え目で、遠慮している印象を与えるので、日本人には使いやすいのだと思います。

「このコーヒーメーカー・・・」と話し始めてもいいのですが、「このコーヒーメーカーなんですが・・・」の方が何か話が始まるぞという感じが強い気がします。


上司に質問する時には「この点なんですが・・・」と会話を始めてみるのはどうでしょうか。

相手が友だちなら「これなんだけど・・・」とカジュアルバージョンにしてみてください。


*1:"Making sense of Japanese-What the textbooks don't tell you", Jay Rubin, Kodansha, 2012

2019年2月28日木曜日

"It was nice seeing you. " 日本語で何?

季節は少しずつ春になってきました。東京ではこの冬、大雪は一度も降りませんでした。暖かくなる時期も早めです。今日は春の花を買ったので、部屋が花の匂いでいっぱいです。花粉症の人には大変かもしれませんね。。。

今日は「気持ちを伝える言葉」と「て形」の関係について考えてみます。
遅れて、すみません
手伝ってくれて、ありがとう
どちらも気持ちを伝える言葉が入っています。「すみません」は謝罪、「ありがとう」は感謝ですね。何に対して謝罪や感謝をしていますか。「自分が遅れたこと」と「相手が手伝ってくれたこと」 です。そして、その部分は「て形」を使って文を作ります。時々、「遅れたから、すみません。」や「手伝ってくれたから、ありがとう。」などと聞くことがあります。言いたいことはわかりますが、違和感を感じます。それから、「ありがとう」の前の動詞には必ず「くれて」をつけましょう。「手伝って、ありがとう。」は不完全な文です。

他の気持ちの言葉はどうでしょうか?
旅行に行けなくて、残念です
友だちが病気になって、心配です
今日は 会えて、うれしいです
前半の部分が「た形」ではなくて、「て形」なので、「旅行に行けない」「友だちが病気になる」「今日(あなたに)会える」というようにまだ起こっていない事に対しての気持ちですか?という質問もたまにありますが、既に起こった事に対しての気持ちです。
(旅行の日は未来でも)旅行をキャンセルした → 今、残念と感じている
 友だちが病気になった → 今、心配している
今日 あなたに会えた → 今、うれしいと感じている
特に、「今日会えて、うれしいです。」は便利な表現なので、もう少し説明します。
この文は相手に会って、「こんにちは、元気ですか?」などとあいさつをした時に言うといいでしょう。または、まだ会っている時間内で言いましょう。
これに対して、「今日会えて、うれしかったです。」は別れ際に言います。「今日会えて、良かったです。」もよく使います。ここで「良かった」には「ほっとした (relieved) 」の意味があり、話し手の気持ちを表しています。
「形容詞が過去形になる理由はその気持ちが完了したからではなく、「会うこと」が終わったからでしょう。
翌日、同じことをメッセージなどで言いたければ、「昨日会えて、うれしかったです。」とか「昨日会えて、良かったです。」となります。前半の「て形」はタイミングに関わらず、いつも「て形」です。
敬語にする場合は「お会いできて、うれしいです。」と言いましょう。
どの場合もポイントは「会う」の可能形を使うことです。可能形にすることで、前半部分を話し手の意志が含まれない文にしています。

私は、この冬もインフルエンザにかからなくて、良かったです!このまま元気に春を迎えたいです。



2019年1月31日木曜日

直訳できない?!― I'm curious.

1月31日。ぎりぎりの投稿になってしまいました。この冬、東京では雨が全然降らず、からからの乾燥状態が続いていましたが、とうとう今日の午後から雨が降り出しました!深夜には雨が雪になるという予報です。

さて、今日は日本語→英語、または英語→日本語に直訳できない表現を紹介しようと思います。
I'm just curious. は日本語で何て言うの?」とたまに生徒から聞かれます。辞書をひくと Curiosity は「好奇心」なので、「好奇心がある」と言う人もいますが、なにか不自然な感じがします。だれかの性格を表す場合①に「好奇心が強い」と言うのはいいと思いますが、性格ではなく、ある特定ものに対してCuriosity がある場合②には他の表現を使うのがいいでしょう。
 ① He is a curious boy (who is always asking questions).  彼は好奇心が強い子どもです。 
② I'm curious about what she said.  私は彼女が言ったことが気になる。 
「気になる」は「心配になる」というほど深刻ではないけど、何となく心に引っかかるものがあるという感じです。もちろん、「すごく気になる」や「とても気になる」という風に程度表現を付けると、深刻度を高めることができます。
She is always so curious about my work.  彼女は私の仕事がいつもすごく気になっている(みたいです)。

"I'm just curious." の他の言い方なら、ちょっと知りたい(だけ)」も良いと思います。
A:この辺のアパートの家賃はいくらぐらいかな?
B:なんで?ひっこしたいの?
A:そうじゃないけど、ちょっと知りたいだけ
でも、"I'm just curious." ではなく、"he" "she" の場合は「知りたい」ではなくて、「知りたがっている」を使いましょう。「たがる」は第三者の「~たい」という希望を表します。
A:この辺のアパートの家賃はいくらぐらいかな?
B:なんで?ひっこしたいの?
A:そうじゃないけど、Cさんが知りたがっているから。

では、「好奇心」という単語はいつ使うのでしょうね?よく使いそうな例文をあげます。
私は好奇心からこの事件について調べてみた。
何才になっても、好奇心を持つことはすばらしいです。
子どもの好奇心を満たす教育が必要です。 
「好奇心」という単語自体は一般的に使われています。そして、「好奇心がある」という表現は、「知らないことを何でも知ってみたい」と興味を持っているということで、その人の性格や日頃の物事への姿勢について述べていると思います。それで、ある特定のものに一瞬興味を示している文 "I'm just curious." には合わない表現なのでしょう。
 


2019年1月14日月曜日

新年!

2019年、明けましておめでとうございます。
毎年の新年の抱負ですが、おもしろくて、役に立つトピックを見つけて、ブログを毎月一回更新するつもりです。
今年もまた日本語を通して、色々な方と出会うことを楽しみにしています!

【日本語レッスン希望の方】
通常レッスン、スカイプレッスン、ビジターレッスン、少人数レッスンなど、下記メールアドレスにお問い合わせをお待ちしています。

Please contact us about regular lessons, Skype lessons, visitor lessons or small group lessons.


【日本語教師希望の方】
1)授業経験のある方: 都内で複数の授業が可能、基本英語力
2)未経験の方: 養成講座、もしくは課題終了後に実践開始、基本英語力

どちらも下記メールアドレスにお問い合わせください。



直訳できない "It's a beautiful day!"

 明けましておめでとうございます!今年もよろしくお願いします!! と言いながら、最近はブログの更新をなまけています。読んでくださる方、ありがとう。 2023年は世界に平和が訪れることを心から願います。歴史を振り返ると、人間は戦争を繰り返していますね。今までの人類の半分は戦争で死ん...