この夏、私は George Orwell の "1984" を少しずつ読んでいます。昨夜、この作品に出てくる言語「ニュースピーク」 (Newspeak) の定義の部分を読んで、「言語はそれを使う人の思想や文化を表しているものなんだ。そして、それは本当に大切な価値があるものなんだ」と改めて気が付きました。"1984" の世界のように、政府が言語をコントロールしていると、自由な思想や表現が世界から消えてしまうのですね。逆もあり得ます。自由な思想や表現に興味がない市民が増えれば、政府が言語を作り変えることも可能になりそうです。現実の世界のどこかでも、こんな現象が既に起きているのかもしれません。。。
さて、先月の投稿で「日本語の動詞のグループ分けは文法的な面①だけではなく、動詞の意味②からも考えるべきだ」と書きました。
①文法的なグループ分け: グループ1/U-verb、グループ2/Ru-verb、グループ3/irregular verb
②意味によるグループ分け: 行動 (action)、状態 (state) 、変化 (change)今日のグループ分けも②に関係しています。日本語の動詞において、とても大切で、難しい点の一つでもある「自動詞」と「他動詞」の区別です。この二つの区別をきちんと理解して、動詞を覚えないと、正しい日本語を使うことができません。
大まかな区別は「他動詞=行動」、「自動詞=結果、状態、変化」ですね。
私はドアを閉める(他動詞) I'm closing the door. ― ドアが閉まる(自動詞) The door will be closing.
私は電気をつける(他動詞) I'm switching on the light. ― 電気がつく(自動詞) The light will be on. などなど注意するべきことは「自動詞=自動的に、または自然に起こる」ことではないという点です。エレベーターや電車のドアは自動的に開いたり、閉まったりしますが、だからといって、「自動詞=自動的」ではないのです!人の行動ではないことがポイントです。
①「電気をつける」というだれかの行動 → 「電気がつく」という結果 → 「電気がついている」という状態
②「パソコンが壊れる」という自然な変化 → 「パソコンが壊れている」という状態しかし、自動詞の中には行動を表す動詞もいくつかあります!
行く、来る、帰る、入る、出る、歩く、起きる、寝る、などなどどうして、「行く」や「来る」などは行動の動詞なのに、自動詞になるのでしょうか?それは、「行く」や「来る」が「目的語 (direct object)+を」と一緒に使われないからです。具体的な例を見てみましょう。
私はテレビを見る、私は本を読む、私はドアを閉める、私は電気をつけるテレビ、本、ドア、電気は "What do you watch?", "What do you read?" の "What" の答えになる部分です。こういう部分を動詞の目的語と言います。多くの行動は目的語を必要としますが、そうではない場合もあります。
私は公園に行く、私は店に入る、私は6時に起きるこれらの文に「目的語 (direct object)+を」はありません。"What?" の質問と答えは無いというわけです。この場合、行動の動詞が自動詞になります。
それで、他動詞と自動詞は2つの視点から区別します。
- 動詞の意味は行動?結果?変化?状態?
- 「目的語 (direct object)+を」と使うか、使わないか?
実際は2の視点からだけで判断できるのですが、やはり「ドアを閉める」と「ドアが閉まる」を比べる時には「これは人のアクションか、その結果か?」という視点は自然に現れるでしょうし、その点を理解しないと、正しい文を作ることができないでしょう。
"1984" の「ニュースピーク」 (Newspeak) のように、言語が簡素化されれば、自動詞や他動詞、漢字にも困ることはないでしょうが、日本語の複雑さは豊かで美しい表現方法だと思って、受け入れてください!!