2016年6月19日日曜日

広島旅行~N2 の表現とともに

6月の初めに久しぶりの家族旅行をしました、どこへ行こうか迷った末に、広島県は尾道(おのみち)~しまなみ海道~宮島~広島市へ行って来ました。

尾道は外国人にはあまり知られていないようですが、古くて小さくて、とても日本らしい町です。外国人のみなさんも好きに違いありません。尾道は坂の町ですから、まずロープウェイに乗って、山の上へ。そこからの景色はすばらしかったです!山と海の間に家々が並び、海の方を見ると瀬戸内海(せとないかい)の島々が見えます。
東京は広ーい関東平野にあるので、私から見ると「海と山の間の狭い場所に町がある」という地形はめずらしく、とても美しいです。時々、山の上へ行って、この景色さえ見れ、とってもいい気分になれるんだろうな~と思います。そういう美しい景色のそばで暮している人たちは恵まれていますよね。

次の日は瀬戸内海の島、生口島(いくちじま)でサイクリングをしました。右手にきれいな海と白い浜、左手にはレモン畑が広がります。日本のレモンの70%がこの島で生産されているだけあって、レモンの木がいっぱい!国産レモンが大好きな私はとっても感激しました。
両親は20代の時に自転車に乗ったきり、ずっと車を運転して生活しているので、自転車は本当に久しぶり!両親の自転車乗りは危なっかしくて、妹と私はひやひやしっぱなしでした。

その後、宮島へ移動。「宮島は夜が最高にきれい」という友人のおすすめにしたがって、日の入り前に到着しました。夜の景色はとっても幻想的でした。さらに、私たちは翌朝6:30に厳島神社(いつくしまじんじゃ)ヘ行って、神聖で厳かな雰囲気の中、海の中に建つ神社をお参りしました。
しかも、宮島は海の景色ばかりか、山も楽しめるんですよ。山そのものが神である神聖な山があります。父は前日のサイクリングで疲れていたので、山登りは無理かと心配しましたが、何とか登り切りました。家族全員で山の頂上から海と島々を眺めることができて、良かったです。

最後は広島市内の平和記念公園と資料館を訪れました。ここを見ないわけにはいきませんね。広島市はこの日に梅雨入りしたばかりで、大雨が降っていました。(私が雨女なので、やっぱり雨。)雨にもかかわらず、大勢の人たちがいました。ちなみに、オバマ大統領はその前の週に訪問しました。
今年の1月に長崎でも感じたことを広島でも感じました。戦争で利益を得る人たちが戦争を起こし、普通に生きているだけの市民が戦争に巻き込まれ、だれかを傷つけ、だれかに傷つけられる。こんなにひどいことを2度と起こしてはいけません。

このようにして家族旅行が終わりました。みなさんも広島市に行く折には、宮島だけではなく、尾道まで足を延ばしてみてください!


尾道の山の上からの眺め

サイクリングコース、しまなみ海道

しまなみ海道沿いのビーチ

夕暮れ、厳島神社の鳥居





2016年6月13日月曜日

「あげる、もらう、くれる」のニュアンス

すみません、5月は忙しすぎて、ブログの投稿ができませんでした。毎月1回は書くことを目標にしていたのですが、先月はそれが達成できませんでした。。。その代わり、6月は2回書こうと思っています。

第一回目のテーマは「あげる、もらう、くれる」。これらは日本語に独特の動詞です。特に「くれる」の存在が独特ですね。私はいつもこの3つの動詞を教える時に、「あなたの言語には『くれる』がある?」と生徒に聞くのですが、「『くれる』がある」という答えを聞いたことはありません。

このブログを読んでいる方たちはこれらの3つの動詞の意味の違いや文法は理解しているでしょうから、ここでそういうことは書きません。「あげる、もらう、くれる」の日本語らしさについて考えてみます。これらの動詞はとても日本語らしい動詞だと思いませんか。
理由1: 動詞から主語が必然的に決まってくるので、「私」(主語または目的語)の省略ができる。
理由2: 第2の動詞をメインの動詞に付け足すことによって、意味にニュアンスが生まれる。
理由3: ニュアンスの加え方にも日本人的思考が影響している。

では、3つの理由をひとつずつ見ていきましょう。

話し手が「あげる、もらう、くれる」の行為に含まれている場面を表すなら、話し手があげる人の場合、「私が他の人にあげる」になって、話し手がもらう人の場合、「私が他の人からもらう」か「他の人が私にくれる」のいずれかに必ずなります。したがって、それぞれの動詞によって、「私の立ち位置」が暗黙の了解となり、「私」が省略可能となります。つまり、「彼が花をくれた」という文があれば、花をもらった人は「私」であることは言わなくてもわかるという訳です。

次に理由2の具体例をあげましょう。例えば、「忘れてしまいました」(忘れちゃった)。「携帯を忘れました」という文は正しいのですが、単純に事実を述べているだけで、単調なつまらない文です。
これに対して、「てしまいました」(ちゃった)という第2の動詞を付け足すことで、「残念」とか「困っている」という話し手の気持ちを表すことができます。
「動詞のて形+あげる/もらう/くれる」も同じような効果があります。
だれかが自分に親切にしてくれたら、「ありがとう」という感謝の気持ちを伝えたい。それが「くれる」や「もらう」を使うことで可能になります。

  1. 友だちは私を手伝いました。(事実のみ、単調)
  2. 友だちは(私を)手伝ってくれました。(話し手の感謝の気持ち)
  3. (あなたは私を)手伝ってくれて、ありがとう。(「くれる+ありがとう」の表現)
人をひっくり返せば、もちろん「もらう」で表すこともできます。

  1.  友だちは私を手伝いました。(事実のみ、単調)
  2. 私は)友だちに(から)手伝ってもらいました。(話し手の感謝の気持ち)
ただ、「動詞のて形+あげる」を使うときはちょっと気をつけましょう。
上記の例のように感謝の気持ちを伝えるために、「~てもらう」と「~てくれる」を使うのは何も問題はありません。感謝を言うのも言われるのも、だれも嫌な気持ちになりませんから。
でも、「~てあげる」は「私は他の人のために何か親切なことをした」という意味を持っているので、「私はあなたたのために手伝ってあげた」とか「私はあなたのために料理を作ってあげた」などと言うと、「自分の親切な行為を認めてほしい、または押しつけている」という印象になりかねません。
特に、日本人は「押しつけがましい」 (self-assertive) 行為が嫌いです。周りの人たちへの親切や素敵な行為は気付かれないようにさらっと行うのが日本人の美徳です。
ですから、「~てあげる」を使えるのは気心の知れた友だちや恋人、家族の間のみにしておいた方がいいですよ。これが理由3です。

やっぱり、言語はその国の国民性や思考方法が表されているんだな~と実感しますね。
みなさんの国の言葉でも特徴的な表現があったら、紹介してください。