2012年4月8日日曜日

4月 第2弾

先ほど、尊敬語の「お+ます形+に なる」の投稿を書きましたが、まだ尊敬語について考えています。「れる/られる」のパターンについてです。グループ1の動詞は「あ段+れる」、グループ2の動詞は「ます形+られる」。この動詞の活用は受け身形の場合と同じですね。例文を見てみましょう。
  • 普通の文: 社長は 私に おつかれさまと 言った。
  • 尊敬語の文: 社長は 私に おつかれさまと 言われた
  • 受け身の文: 私は 社長に おつかれさまと 言われた
どうして、尊敬語と受け身形が同じなのでしょうか?これらの文の状況を想像すると、相手の行為(社長の行為)は話し手(私)の意思と関係ないところで行われています。相手の行為に敬意を表すために、尊敬語を使用します。

同時に、受け身形では主語は変わりますが、動詞は尊敬語と同じように「言われた」を使って、話し手が相手の行為を受けたことを表しています。その行為もやはり、話し手の意思と関係ないところで行われています。こういう共通点があることから、文の構造は違っても、「尊敬語」と「受け身形」の動詞の形が同じなのかもしれません。(私の推測です。)

それから、日本語では受け身形が多く使われます。ここには日本人の心理と日本語の特徴が表れている気がします。例えば、先日日本語のクラスで日本人写真家・杉本博司(すぎもと ひろし)のウェブサイトを読んでいた時、私たちは彼が受け身形を多用していることに気がつきました。
私は「蝋燭の一生」を記録してみることにした。ある真夏の深夜、すべての窓は開け放たれて、その夜の風が招き入れられた。蝋燭に火がともされると共に私のカメラのレンズも開かれる・・・   (http://www.sugimotohiroshi.com/praiseJP.html)

彼はここで4つ受け身形の動詞を使っていますが、実は全ての行為は写真をとる準備のために、彼が行ったことです。自分がしたことにも関わらず、受け身形を使う彼の心理は?この写真のプロジェクトで彼は暗闇の中、一本のろうそくの火を撮り続けます。電気がない真っ暗な夜はまさに神々が現れる時。その闇と火と見つめ合うことは、自然の力に敬意を抱き、その“超自然”なパワーをそのまま受け入れることなのだと思います。ですから、写真家は準備段階からすでに自然の力に飲み込まれていて、自分の行為さえも自然の力のもとでされたことと感じているのだと思います。

そして、このような受け身形の使い方は日本人にとって変ではありません。きっと日本人はこの写真家のような感覚を持っているのでしょう。

また、上記の文は文法的に説明すると、完全に受け身形なのですが、自然の力に敬意を表しているという点では尊敬語のような感じにもなるのかもしれませんね。

ちなみに、この写真家はバイリンガルなので英文のページもあります。でも、英文では受け身形で書かれていません。(http://www.sugimotohiroshi.com/praise.html

*『伊勢神宮の謎を解く―アマテラスと天皇の「発明」』、武澤秀一、ちくま書房、2011年





2012年4月7日土曜日

尊敬語

東京はすっかり春になりました。桜も見頃を迎えて、とてもきれいです。みなさんの町や国にも春が来ましたか。

今日は前回に続き、敬語の話をしますが、その前に「日本の神」について、少し触れます。先月末、私は伊勢(いせ)に旅行して来ました。伊勢には伊勢神宮という日本の神社の中心があり、そこに祀られている神様はアマテラスオオミカミという太陽の女神、これも一番の神様です。伊勢に行く前に、神道、神話、そして天皇との関係について本で勉強しました。

日本では大昔から森羅万象(しんらばんしょう)にひそむ超自然を崇拝してきました。特に蛇、太陽、高木、稲霊は人々がおそれ、神となり、敬意を表したものだそうです(*1)。これらをはじめに、自然の要素が持つ力が色々な神話を生み出しました。そして、天皇制が成立した時に、太陽神を天皇の祖先として、天皇創造の神話ができあがりました。

それ以後、日本人は「人の力が及ぶことのできないパワー、自然的なパワーを持つものが神々、そして天皇だ」と考えるようになったと思われます。

では、ここで敬語の説明に移りましょう。ご存知のとおり、尊敬語には3つのパターンがあります。
  1. れる/られる
  2. お+ます形+に なる
  3. 不規則形
2のパターンと対照的なのが、謙譲語の「お+ます形+する」です。謙譲語は話し手の行為に使うので、そのアクティブな行為を表すために、「する」が使われているのはわかりやすいですね。
では、どうして尊敬語に「なる」を使うのでしょうか?
なる: 物事が できあがる、今までとちがった状態に変わる、など。
「なる」は、自然的な変化やその結果、 自分がコントロールできないことが起きた結果などを表すことができます。つまり、神々や天皇が行ったことは「なる」を使って表すというように考えることができます。この考えは「なる」を使って、相手の行為に敬意を表す尊敬語につながっている気がします。
ちなみに、日本で敬語は700年代から使われています。最初に始まったのは天皇などに対して使う尊敬語でした。

現在の「なる」を使う尊敬語が大昔のような意味合いで使われていることは決してありませんが、相手の行為は自分の手の届かないところで行われるので、自分の意思を含まない「なる」を使うのが日本人にはすんなり感じるのだと思います。

*1 『伊勢神宮の謎を解く―アマテラスと天皇の「発明」』、武澤秀一、ちくま新書、2011年