2012年4月7日土曜日

尊敬語

東京はすっかり春になりました。桜も見頃を迎えて、とてもきれいです。みなさんの町や国にも春が来ましたか。

今日は前回に続き、敬語の話をしますが、その前に「日本の神」について、少し触れます。先月末、私は伊勢(いせ)に旅行して来ました。伊勢には伊勢神宮という日本の神社の中心があり、そこに祀られている神様はアマテラスオオミカミという太陽の女神、これも一番の神様です。伊勢に行く前に、神道、神話、そして天皇との関係について本で勉強しました。

日本では大昔から森羅万象(しんらばんしょう)にひそむ超自然を崇拝してきました。特に蛇、太陽、高木、稲霊は人々がおそれ、神となり、敬意を表したものだそうです(*1)。これらをはじめに、自然の要素が持つ力が色々な神話を生み出しました。そして、天皇制が成立した時に、太陽神を天皇の祖先として、天皇創造の神話ができあがりました。

それ以後、日本人は「人の力が及ぶことのできないパワー、自然的なパワーを持つものが神々、そして天皇だ」と考えるようになったと思われます。

では、ここで敬語の説明に移りましょう。ご存知のとおり、尊敬語には3つのパターンがあります。
  1. れる/られる
  2. お+ます形+に なる
  3. 不規則形
2のパターンと対照的なのが、謙譲語の「お+ます形+する」です。謙譲語は話し手の行為に使うので、そのアクティブな行為を表すために、「する」が使われているのはわかりやすいですね。
では、どうして尊敬語に「なる」を使うのでしょうか?
なる: 物事が できあがる、今までとちがった状態に変わる、など。
「なる」は、自然的な変化やその結果、 自分がコントロールできないことが起きた結果などを表すことができます。つまり、神々や天皇が行ったことは「なる」を使って表すというように考えることができます。この考えは「なる」を使って、相手の行為に敬意を表す尊敬語につながっている気がします。
ちなみに、日本で敬語は700年代から使われています。最初に始まったのは天皇などに対して使う尊敬語でした。

現在の「なる」を使う尊敬語が大昔のような意味合いで使われていることは決してありませんが、相手の行為は自分の手の届かないところで行われるので、自分の意思を含まない「なる」を使うのが日本人にはすんなり感じるのだと思います。

*1 『伊勢神宮の謎を解く―アマテラスと天皇の「発明」』、武澤秀一、ちくま新書、2011年


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