2012年3月3日土曜日

敬語!

みなさんは『美味しんぼ』というマンガをご存じですか?食について書かれたマンガで、昔から大人気の作品です。人間、だれでも食べることに興味はあると思いますが、日本人は特に食べ物や料理に関心が強いですね。

『美味しんぼ』では色々な食材や料理法が、徹底的なリサーチをもとに書いてあって、そこに登場人物たちのドラマが絡み合っています。今、私が読んでいる54巻は「日本酒の実力」という題名で、文字どおり、おいしい日本酒を紹介したり、日本酒業界の大きな問題を説明したりしています。日本酒好きのアメリカ人の生徒と一緒に読んでいます。

といっても、今日のテーマは日本酒のことでなくて、このマンガに出てきた敬語表現です。
マンガの中である有名な美食家(海原先生)とある銀行の頭取が話しています。二人とも社会的ステータスを持った人たちです。以下は美食家が銀行を訪問したシーンの会話です。
頭取: 海原先生、わざわざお越しいただくとは恐縮です。
(美食家が頭取にお土産を渡す)
美食家: 以前 李朝の白磁の壺をいただいたお礼です。自作で僭越(せんえつ)ですが、茶碗です。普段使いにお使いください。
頭取: うはああ。先生の御作をちょうだいするとは光栄です!あの白磁の壺はまり子(娘)の結婚披露宴に「至高のメニュー」を出してくださったお礼に差し上げたものです。そのお返しをいただくとは恐れ多い。
難しい単語がいっぱいあるのですが、調べて読んでくださいね。単語を調べると、二人の会話の内容がわかるでしょうか?尊敬語、謙譲語、丁寧語がふんだんに使われているので、どれがどれか分けてみましょう。

①尊敬語
  • お越し: 訪問
  • 御作(ぎょさく): 相手が作った物をうやまう
  • くださる: くれる
②謙譲語
  • いただく: もらう
  • 恐縮です: 相手に迷惑をかけたり、相手から何かをしてもらった時に 申しわけないと思う
  • せんえつ: 自分の立場を超えて、出すぎたことをしたとへりくだる
  • ちょうだいする: もらう
  • 差し上げる: あげる
  • 恐れ多い: 「恐縮」と同じ
③丁寧語
  • お礼
  • お使いください
  • お返し
 もし、私とこの二人のどちらかが話せば、私だけが尊敬語や謙譲語を使って、話さなければなりませんが、この二人のように同じくらいのレベルにある人たちが話す場合には、それぞれが相手を尊敬したり、自分を謙遜(けんそん)したりしながら、複雑に会話を進めます。

そして、敬語表現を読み解くポイントは「だれがだれに言っているか」、また「だれがその行為の主語か」を見つけることです。尊敬語を使うと、その動詞は相手の行為、謙譲語を使うと、その動詞は自分の行為だということを忘れないでください。これは暗黙の了解なので、「私は」「あなたは」などの単語が無くても、だれの行為かわかるようになっています。

では、先ほどの会話を普通語にして、主語と説明を入れて、見てみましょう。

頭取: 海原先生、わざわざ来てもらって、すみません。
(美食家が頭取にお土産を渡します)
美食家: 以前 私があなたから李朝の白磁の壺をもらったお礼です。自分で作った茶碗です。大した物ではありませんが、普段使いに使ってください。
頭取: うはああ。先生が作った物を、私がもらうとは光栄です!あの白磁の壺は、あなたが まり子(娘)の結婚披露宴に「至高のメニュー」を作ってくれたお礼に、私があなたにあげたものです。私があなたからそのお返しをもらうとはすみません。
状況がわかりましたか? 同じレベルの二人が話すなら敬語なしでもいいのに・・・と思っても、敬語には社会的マナーや大人の常識という意味合いも強いので、使わないわけにはいかないんですね。




7 件のコメント:

Chris さんのコメント...

岡本さん、こんばんは。
「御作」と書いた言葉はここで「ぎょさく」と読むのですね。それに、「お越し」という言葉を学んでよかったなと思います。大変勉強になりました。
私なら、「御作」を多分「ごさく」と読むだろうと思います。読み方に興味深いので、ちょっと調べました。辞書にただ「おつくり」と読む「御作」が書いてあるだけで、意味から推測して、違う言葉なんだろうと思って、gooの国語辞典で調べて、見つかりました。やはり、新明解はなかなかいい辞書けれども、高級な単語が見つからない可能性はありますね。
私は普段に「御出で」とよく言いますが、調べて、「お越し」の方は「御出で」より敬意がもう一層高いですね。字面から見れば、「お越し」の方は何か困難な道を越えて、わざわざ来たので、大変お疲れ様だという意味なので、敬意が高いのでしょうね。
なお、「頂戴」という言葉にはちょっと質問があるのですが。「頂戴」は女性によく使われる言葉だというのを聞いたことがあります。男性では使えば、おかしく聞こえないのでしょか。もし、女性の言葉なので、敬意は「いただく」より高いのではないでしょうか。

Minako Okamoto さんのコメント...

クリスさん、いつもコメントありがとう。

「ちょうだい」は敬語として使われない場合、つまり、「これ ちょうだい(=ください)」と言う場合には女性や子どもがよく使います。

でも、謙譲語として使われる場合は、男性も使えます。例えば、「これをちょうだいしてもよろしいですか?」や、いっぱいごちそうになった後に「十分ちょうだいしました。」などです。

「ちょうだい」と「いただく」とどちらが敬意が高いかという質問については、私の場合、「ちょうだいする」という敬語をあまり使わないし、一般的にも「いただく」は日常的な敬語なので、「ちょうだい」の方が敬意が高いように感じます。

ところで、敬語の「ちょうだい」は「動詞+ちょうだい」という形をとらないので、注意してくださいね。

Chris さんのコメント...

いえいえ、どういたしまして。
それに、私はいつも岡本さんに親切にご説明いただいて、有意義なことをいっぱい知りまして、本当に楽しいです。こちらこそ、ありがとうございます。

>ところで、敬語の「ちょうだい」は「動詞+ちょうだい」という形をとらないので、注意してくださいね。

つまり、「ちょうだい」は「いただく」のような助動詞の機能がなく、ただ「もらう」の意味の実質動詞として使われるというわけですね。分かりました。

敬語に関して、他にいくつかの問題があるのです。

日本語の敬語の系統は、大体三種類があるようですね。あれは、
1、 いらっしゃる おっしゃる 御出でなどのような優雅な言葉で一般的な言葉を替えること。
2、 お/ご+和語動詞の連用形/サ変動詞+になるというような公式的なもの。
3、 動詞のれる/られるの形。

1のようなものはより理解し安いです。多分すべての言語はぞんざいな言葉があれば、優雅な言葉もあるのですね。2と3の使い方に興味があります。

特別な形として、とりあえず覚えておくといいですから、2はさて置き、3の「れる/られる」は受身、被害、自発などの意味もあり、なぜ他人に敬意を表すにも使われるのかと大変迷っていました。日本語の勉強と経験の積むことに連れて、一つ思いが思い浮かびました。これは、日本人はよく敬意を表される人を、自然なものまたは自然そのものとして扱うのです。他人の意図と気持ちを晒さないで、謹んで付き合うことを進行しています。

「れる/られる」の形で敬意を表す使い方は受身からであっても、自発からであっても、あの行動がそうした人は自分の意志ではなく、ある状況で自然にそうしたまたはさせられたという意味なのではありませんだしょうか。そう考えれば、「お/ご+和語動詞の連用形/サ変動詞+になる」の構文は根本的に人の行動を自然の現象の変化として扱うのですね。ちなみに、「れる/られる」の形はほかにいくつかの意味があり、一つの表現には負担がちょっと重すぎ、そう言うと誤解が起こるという可能性もあり、教養がある人たちにはすべく「お/ご+和語動詞の連用形/サ変動詞+になる」の表現を使うとある言語学者が勧めたのを見たことがあります。本当にそうですか。

このような言い方は尊敬を表すだけでなく、自分の意図を薄める時にも使われるようです。例えば、「私たち結婚することになります」です。他人にそうするのは、他人の心の領域を侵さないためで、自分にそうするのは自分の気持ちをはっきり表したくないためだと思います。

なお、一般的に「誰かが・・・くれる/下さる」より「私は・・・もらう/いただく」のほうが敬意がもっと高いと思われていますね。この原因も上に述べたようなものだと思っています。両方も敬意を表すものですが、「下さる」は相手の私に対する好意を言い出すので、相手の意図に触れました。それで、「いただく」のほうが敬意がもっと高いのです。この言い方はただ私の行動を表すからだと思います。でも、「くれる/くださる」のほうは親切な気持ちがもっと多いような感じだと思います。

上に述べたものは全部私自分なりの理解なので、本当にそうであるかはよく分からないのですが、岡本さんのご意見はいかがでしょうか。

ところで、「くれる」と「もらう」に関しては、もうひとつ問題があるのですが。「くれる」と「もらう」はただの授受の関係を表すだけではなく、「くれる」は相手が能動的に私に何かを与えるとか私のために何かをするとかの時に使い(この点については、私もそう思いますが)、「もらう」は他人に何かをするということを願う時に使うという説を見たことがあります。後の「もらう」の点に私は賛成しません。あの点について例を挙げるには、よく「先生に診てもらう」または「今度山田さんがうちのクラスを代表して試合に出陣してもらう」などという例です。この例では、確かに病気になって、病院に行って、お医者さんに診断を願って、最終に診断をもらうということで、あるいは、試合が催されることを知らせて、山田さんを尋ねて、出陣することを同意してもらうということですが、実は、同じように他人の行動を受けるという意味です。ただ状況によって、ある時、聞かなく、願わなくて、ある行動を受けることができないだけです。他人の能動的にした行動を受ける時にも、「もらう/いただく」を使うことができるのですね。そのほか、電車とか飛行機とかで病気になって、ある親切な先生に診てもらえば、「ある先生が私を診てくれた」とも言えるのでしょうね。

岡本さんはいかがご存知ですか。やはり、言語の一番難しいところは形式的規則ではなく、ひとつひとつ表現の後ろの人の心の光景ですね。

Chris さんのコメント...

いえいえ、どういたしまして。
それに、私はいつも岡本さんに親切にご説明いただいて、有意義なことをいっぱい知りまして、本当に楽しいです。こちらこそ、ありがとうございます。

>ところで、敬語の「ちょうだい」は「動詞+ちょうだい」という形をとらないので、注意してくださいね。

つまり、「ちょうだい」は「いただく」のような助動詞の機能がなく、ただ「もらう」の意味の実質動詞として使われるというわけですね。分かりました。

敬語に関して、他にいくつかの問題があるのです。

日本語の敬語の系統は、大体三種類があるようですね。あれは、
1、 いらっしゃる おっしゃる 御出でなどのような優雅な言葉で一般的な言葉を替えること。
2、 お/ご+和語動詞の連用形/サ変動詞+になるというような公式的なもの。
3、 動詞のれる/られるの形。

1のようなものはより理解し安いです。多分すべての言語はぞんざいな言葉があれば、優雅な言葉もあるのですね。2と3の使い方に興味があります。

特別な形として、とりあえず覚えておくといいですから、2はさて置き、3の「れる/られる」は受身、被害、自発などの意味もあり、なぜ他人に敬意を表すにも使われるのかと大変迷っていました。日本語の勉強と経験の積むことに連れて、一つ思いが思い浮かびました。これは、日本人はよく敬意を表される人を、自然なものまたは自然そのものとして扱うのです。他人の意図と気持ちを晒さないで、謹んで付き合うことを進行しています。

「れる/られる」の形で敬意を表す使い方は受身からであっても、自発からであっても、あの行動がそうした人は自分の意志ではなく、ある状況で自然にそうしたまたはさせられたという意味なのではありませんだしょうか。そう考えれば、「お/ご+和語動詞の連用形/サ変動詞+になる」の構文は根本的に人の行動を自然の現象の変化として扱うのですね。ちなみに、「れる/られる」の形はほかにいくつかの意味があり、一つの表現には負担がちょっと重すぎ、そう言うと誤解が起こるという可能性もあり、教養がある人たちにはすべく「お/ご+和語動詞の連用形/サ変動詞+になる」の表現を使うとある言語学者が勧めたのを見たことがあります。本当にそうですか。

このような言い方は尊敬を表すだけでなく、自分の意図を薄める時にも使われるようです。例えば、「私たち結婚することになります」です。他人にそうするのは、他人の心の領域を侵さないためで、自分にそうするのは自分の気持ちをはっきり表したくないためだと思います。

なお、一般的に「誰かが・・・くれる/下さる」より「私は・・・もらう/いただく」のほうが敬意がもっと高いと思われていますね。この原因も上に述べたようなものだと思っています。両方も敬意を表すものですが、「下さる」は相手の私に対する好意を言い出すので、相手の意図に触れました。それで、「いただく」のほうが敬意がもっと高いのです。この言い方はただ私の行動を表すからだと思います。でも、「くれる/くださる」のほうは親切な気持ちがもっと多いような感じだと思います。

上に述べたものは全部私自分なりの理解なので、本当にそうであるかはよく分からないのですが、岡本さんのご意見はいかがでしょうか。

Chris さんのコメント...

ところで、「くれる」と「もらう」に関しては、もうひとつ問題があるのですが。「くれる」と「もらう」はただの授受の関係を表すだけではなく、「くれる」は相手が能動的に私に何かを与えるとか私のために何かをするとかの時に使い(この点については、私もそう思いますが)、「もらう」は他人に何かをするということを願う時に使うという説を見たことがあります。後の「もらう」の点に私は賛成しません。あの点について例を挙げるには、よく「先生に診てもらう」または「今度山田さんがうちのクラスを代表して試合に出陣してもらう」などという例です。この例では、確かに病気になって、病院に行って、お医者さんに診断を願って、最終に診断をもらうということで、あるいは、試合が催されることを知らせて、山田さんを尋ねて、出陣することを同意してもらうということですが、実は、同じように他人の行動を受けるという意味です。ただ状況によって、ある時、聞かなく、願わなくて、ある行動を受けることができないだけです。他人の能動的にした行動を受ける時にも、「もらう/いただく」を使うことができるのですね。そのほか、電車とか飛行機とかで病気になって、ある親切な先生に診てもらえば、「ある先生が私を診てくれた」とも言えるのでしょうね。

岡本さんはいかがご存知ですか。やはり、言語の一番難しいところは形式的規則ではなく、ひとつひとつ表現の後ろの人の心の光景ですね。

Minako Okamoto さんのコメント...

クリスさん、まず二つ目の質問、「もらう」についてです。

クリスさんはこのように↓書きました。

「もらう」は他人に何かをするということを願う時に使うという説

でも、これは「他人に何かをさせる」となるべきですね。

「もらう」は他人に依頼して、ある行為をさせる場合に使います。

例えば、Aさんが作ったケーキがおいしくて、食べたいので、Aさんにケーキを作るようにお願いした。そして、Aさんがケーキを作った。

この場合、私はAさんにケーキを作らせたことになります。ただ、「作らせる」という使役形を使うと、Aさんに無理やりにケーキを作るようにお願いしたという印象がありますね。

その代わりに、「作ってもらった」を使うと、Aさんが私のためにケーキを作ってくれた、ありがたいなという気持ちが表わせますね。

他人にお願いをして、何かをしてもらう状況はたくさんあると思います。

また、私がお願いしなくても、他人が能動的に私のために何かをしてくれる場合にも「~てもらう」は使えます。

私がAさんに「ケーキを作って」と言わなくても、Aさんがケーキを作ってくれれば、「Aさんにケーキを作ってもらった。うれしい。」と言うことができます。

ビジネスマナーの敬語 さんのコメント...

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。

直訳できない "It's a beautiful day!"

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