2009年11月7日土曜日

150年前に日本語を習う

先日、静岡県伊豆半島下田市に行ってきました。着いた日は天気がとても良くて、ボートで海に行くことができて、とても楽しかったです。

下田は、日本の歴史上、有名な場所です。下田といえば、米国人のペリー。江戸時代は1853年、鎖国(さこく:外国との交流をしないこと)をしていた日本に対して、開国を要求しに来日しました。そして、1854年に徳川幕府(とくがわばくふ)が開港を許すと、ペリーとアメリカの船は下田港に入り、下田で幕府と日米間の条約を結びました。つまり、下田はサムライ時代の日本人に西洋の進んだ技術や文明を見せつけた大切な場所の一つなんですね。ここから、日本の大変化が始まった訳です。

そして、この時代にも外国語を勉強して、外国人と話をして、国と国の交渉をしていた人たちがいました、もちろん。その中で特に優秀で、日本史でかなり有名な人がいます。その人はイギリスの外交官で、通訳として働いていたアーネスト・サトー。1862年8月に日本に来て、横浜で日本語を自分で学んだそうです。
彼は言語を学ぶことにおいて驚嘆(きょうたん)すべき才能を持っており、ごく短期間に大名(だいみょう)とも喋れ、町人とも喋れ、しかも候文(そうろうぶん)を読み書きできるという能力を身につけた。(*1)

「大名」とはある程度以上のさむらいのことで、「町人」とは商業をしている人たちのことです。さむらいと町人はちがう日本語を使っていたそうです。「候文」とは昔の敬語のようなものです。つまり、アーネスト・サトーは複数のタイプの日本語ができて、しかも現代以上に漢字の多い日本語を理解できたのですね。

以前、私はこのサトーさんをイギリス人と日本人のハーフだと思っていました。だから、彼は日本語がぺらぺらなんだと思っていたんです。でも、彼は100%のイギリス人、Ernest Satow だったんです!ちなみに、彼は語学能力だけでなく、外交能力も天才的で、江戸末期の大混乱の日本をよく観察し、当時の日本の政治に大きな影響を与えました。

外国語の勉強はいつの時代もおもしろくて、難しいと思います。でも、昔と比べると、現代はもっと多くの学習方法があって、恵まれていますよね。昔の人たちを見習って、私たちもがんばりましょうね。



下田の夕日

*1 『世に棲む日日(三)』 司馬遼太郎、文芸春秋、2003年