9月1日に前首相の福田さんが辞任しました。その辞任会見の際、記者からの最後のコメントに対して、福田さんが発した言葉がとても話題になりました。
記者:福田総理の会見は(いつも) 国民には他人事のように聞こえます。この辞任会見に対しても、同じ印象を持っています。
福田:私は自分自身を客観的に見ることができるんです。あなたとは違うんです。
この「んです」の使い方を説明するのは実に難しい。日本人は「んです」を使う場面を感覚的にわかっていますが、理論的にこれは解説できない。ただ、福田さんのこのコメントを聞いた時、彼は怒っているんだな、彼は記者に何かを訴えたいんだな、という印象を日本人はみんな感じたはずです。
では、簡単な文で「んです」を見てみましょう。
①レストランで初めて見る食べ物が出てきました。
これは何ですか? 【解説: 話し手はこの食べ物の名前や材料を知りたい。】
②とつぜん 机の上に離婚届が置いてあります。
これは何なんですか?! 【解説: 話し手はこの状況についての説明や理由が知りたい。相手に対して、強く聞いている。】
②では相手のした事を非難していますが、①の状況で相手を責めるような形で質問をする必要はありません。
③、②の理由を聞きたい場合、
どうして こんなひどい事をするんですか?! 【解説: ②と同じ。「どうして こんな事をしますか?」では、話し手の感情や質問の強さが表わされていないし、ロボットが話しているように機械的に聞こえる。】
④、③の質問に答える場合、
私はあなたを愛していないんです。離婚がしたいんです。 【解説: 話し手は理由や説明を述べながら、自分の感情を相手にぶつけている。】
それで、福田さんのコメントは④に似ていると思います。「私は~できるんです」や「私は違うんです」と言って、その事を相手に知ってもらいたいと冷静に訴える福田さんの感情が読み取れます。しかも、コメントが「私はあなたと違うから、あなたができない事を私はできる」という内容ですから、「いやみ」たっぷりという感じも受けます。
しかし、「んです」は必ずしも、話し手の怒りや強い感情を表す訳ではありません。場面によって、そうなるだけです。ニュートラルな感情、また嬉しい気持ちがある時にも、「んです」は使えます。
例えば、⑤友だちに今、何をしているか聞く場合、今、何をしているんですか?(=しているの?) 【解説: 友だちからの説明を求めていますが、②と③のような感情はありません。ニュートラル】
⑥自分の家の前で、あやしい人が家に入ろうとしている。
そこで、何をしているんですか?! 【解説: ②③と同じ。】
⑦友だちが誕生日のサプライズパーティーを開いてくれた。
これは何なの?!(=何なんですか) だれが準備してくれたの?!(=くれたんですか) 【解説: 理由や説明を求めながら、驚きや喜びを表すこともできます。】
このように、自分の気持ちを強調したい時に、「んです」を使うと考えても良いかもしれません。もちろん、話の内容から話し手の気持ちは想像できますが、それに加えて、話し方やトーンによって、感情の差を表しています。ただ、「んです」は話し言葉ですから、(先ほども書きましたが、)感覚的に使い方を身に付けているだけなので、この私の説明も外国人にとっては不十分かもしれません。ごめんなさいね。
8 件のコメント:
いい説明、ありがとうございます!勉強になりましたね。
Nacest-san,
コメントありがとうございます。今回のテーマは私が一番苦手なものの一つですから、ちょっと心配でした。
私がなんとなくしか説明できないので、皆さんがなんとなくわかってくれれば、嬉しいです。
ありがとうございます。この質問を出したジョンです。
案の定説明しにくいことについて聞いてしまいましたが、岡本先生のご説明はとてもわかり易いので、なんとなくわかったような気がします。いい勉強になりました!
Jonathan,
なんとなくの理解だけで すみませんね。
英語では「んです」のような違いを出す時は どうするんですか?話すトーンを変えたり、ある単語を強調したりするんですか?
英語では・・・どうするんでしょうね。(アメリカ人失格です。)実は岡本先生がおっしゃるとおりと思います。トーンと強調がポイントだと思います。そして、もちろん言葉の選択も要素ではないでしょうか。
"What are you doing?"
"What do you think you're doing?!"
みたいな感じですね。
岡本さん、こんばんは。
岡本さんのこの投稿に、私は非常に気に入ったのです。私もこのような「の」の使い方に対して、長い間にずっと考えています。
この問題をもうひとつの投稿に取り上げた「の」と「こと」の問題に繋げて考えれば、もっといいと思います。実はこれらは同じ問題だと思っています。そのほかに、「もの」はもひとつこのようによく使われる形式名詞です。
それぞれの文法にはムードのひとつとして扱い、あるいは「状況説明」と「文脈説明」のような特別な用法として取り上げ、いろいろな解説がありました。
私はどんな言語でも文字通りに意味を認識し始めるべきだと思っています。どんな派生された意味と使い方でも、元の文字通りの意味が成立した上のものからです。
私に対しては「・・・の/んだ」という文型の本質は「の」前の内容をこの「の」を付けて名詞化して(名詞句を除く)、ひとつのこととして、これは事実上のことだというような判断を下すと言う意味です。そして、語用的には、この判断の結論がその場面と状況の説明として相手に伝えられます。これに生まれたいくつかの用法はあくまで違う判断の内容と判断を下す違う場面によって、結局違う意味合いを文に付けることになっているのだと思っています。
普通の動詞文と名詞文と形容詞文では、ただの描写と陳述をします。このようなものたちをひとつの事実として纏まって、それに判断を下すのは「の」を付けるのが必要です。
「・・・のだ」が命令としての用法はよく言わされていますが、この用法の本質も判断だと思います。相手に「いま、あなたがすべきなのはあなたがいましているのではなく、私が言った「・・・のだ」の「・・・」だ」という判断で指示しているのだと思っています。
「の」はよくひとつの事実、発生していなくてもひとつ確実な動作または状況を表し(「ので」、「のに」の「の」もこの意味に関連していると思います)、「こと」はよく一般的概念、習慣、規則、考え、つまりより抽象的と普遍的なことを表し、「もの」は物と人を表す、と思っています。
私にとって、このような形式名詞の名詞句の難しいところは、日本語の特徴なので、主語または主題がよく省略されて、判断の対象がよく分からなくなることです。それから、どんなモダリティの助詞と副詞も使わずに、違う場面と状況で、いろいろなモダリティのニュアンスを文に付けることです。
さて、「もの」についてのことを伺いたいのです。一般的に「・・・ものだ」を文字通りに何かが「・・・」の特徴があるものだと解釈されています。でも以下のこの前に収集した例文では語用的意味はもう書いてありますが、文字通りの意味は今でもよく分かりません。岡本さんに確認していただきたいのです。
早く孫の顔を見たいものだ。 (希望の強め)
この「もの」は早く孫の顔を見たい私ですか、早く孫の顔を見たいというそのことですか。
平和な地球になってほしいものだ。
上の問題と同じです。私ですか、そのことですか。
あの頃はよく映画を見たものです。(回想:繰り返された経験)
この「もの」はわたしでしょうか。
こんな難しいことを、よくやったものだ。 (驚き:評価)
この「もの」はよくやった人でしょうか。
わからないものだ。あの人があんな犯罪を犯すなんて。
この「もの」はその人でしょうか。
馬子にも衣装とはよく言ったもんだ。今日はきれいだねえ。
この「もの」はよく言った話でしょうか。
やっと、そろそろこの文を書き終わるところです。私のこうのような文型を理解する方法はおかしいかもしれないと知っていますが。これは所詮私自分が納得できるように出した自分なりの結論なので、正確かどうかはよく分かりませんが、岡本さんにご意見伺いします。ありがとうございます。
やはり、予想通りにこの前に発表出来なかった原因は文が長すぎるのです。二つの部分にすればもう大丈夫です。よかったです。
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