- 主語は物か、人か
- 文は行動を表しているか、状態を表しているか (他動詞か、自動詞か)
- 主語は一人称(私)/二人称(あなた)か、三人称(彼、彼女、彼たちなど)か
- 主観的な文か、客観的な文か
- 既知(すでに知っていること)か、未知(まだ知らないこと)
1. 主語は物か、人か。
これによって、動詞が変わることがありますね。みなさんが知っているとおり、「物はある」「人はいる」はこの違いですね。
A) 私の家は 東京に ある。
B) 私は 東京に いる。2.動詞は行動を表しているか、状態を表しているか。
日本語では言いたいことの視点が「行動」にあるか、「行動の結果、つまり行動の後の状態」にあるかで、表現が変わることがよくあります。結局、どちらの文も同じことについて言っているので、どちらも正しいのですが、視点が違うと、文から受ける印象が変わります。
例えば、週末に家にお客さんが来るので、その前にワインを買った場合。
Aは単純ですね。「私はワインを買った」という私の行動を表わしているだけです。Bは「私はワインを買って、それは今、家にある」という買った後の状態に視点が置かれています。話し手は「買った」という行動よりも、「今ある」という結果や状態の方を強調したいのだと思います。A) 今日 ワインを 買った。
B) ワインは もう 買ってある。
A) 私は 来月 引っ越すことに しました。
B) 私は 来月 引っ越すことに なりました。
AもBも「来月 引っ越す」ことを言いたいのですが、ニュアンスは違います。他動詞の「します」(A)は、話し手の行動を表していますから、「私が決めました」という話し手の意思が感じられます。
一方、自動詞の「なります」は行動の後の変化や状態を表しますから、Bは決心の後の結果に視点が置かれています。それで、決心を発表しているAの感じとは違って、結果を報告している感じが強いのです。
A) 明日 私は 買い物を したい。
B) 明日 彼は 映画を 見たがっている。
4. 主観的な文か、客観的な文か。
つまり、主観的とは「話し手の考え方や意思が表わされている文」で、客観的とは「話し手だけではなくて、他の人たちも含めて、共通の考え方や意思が表わされている文」です。例えば、「~たばかり」と「~たところ」は "have just done"の意味がありますが、使い方は全く同じという訳ではありません。
A) 私は 先月 日本に 来たばかりです。
B) 私は 今 家に 帰ったところです。
5. 既知か、未知か。
では、「そうですか」「そうですね」「そうですよ」を比べてみましょう。
A) 山田:次の週末の天気は 晴れですよ。 田中:そうですか。B) 山田:次の週末の天気は 晴れですよ。 田中:そうですね。C) 山田:次の週末の天気は 晴れですよね。 田中:そうですよ。
6 件のコメント:
また面白い記事を書いてくださいましたね。ありがとうございます。いい勉強になりました。
僕が思うに、「~てある」の文型が面白いです。通っていた日本語学校の授業でこの文型に初めて接触したとき、「なぜ受身形は使わないのかな」と不思議に思っていました。
つまり
「ワインは もう 買ってある。」
より
「ワインは もう 買われてある。」か
「ワインは もう 買われている。」
というのが日本語初心者の僕にとって自然に聞こえていたわけですね。「買ってある」の文だと、途中で主語が変わるから、と思っていました。使えるようになりましたが、今でも主語が変わるんじゃない?と思います。
「私はワインを買った。ワインは家にある。」
「ワインは買われて、家にある。」
ふむ。今でも不思議ですね。これはやはり特別な文型かもしれませんね。
Jonathan,こんにちは。
たしかに、「ワインは買ってある」の文はおもしろいですよね。人の行動も言いたいし、物の状態も言いたいという気持ちなんでしょうかね?
関連表現では「私はワインを買っておいた」もありますね。この文からはどんな印象を受けますか?
それにしても、ジョナサンさんの日本語はとても上手ですね。感心しています。
Okamotoさん、はじめまして。日本語学習者向きの日記を創立してくださって、本当にありがとうございました。随分参考になりました。
三人称の「たがる」についての質問がありますが。日常生活であまり使われていない、と過去に日本人の友達によく言われましたが、私にはそうではなさそうです。
使われているのか、いないのかは、どちらが正解なんでしょうか?
Kenさん、コメントありがとうございます。
「たがる」はよく使っていると思いますよ。例えば、「あの人は彼女と話したがっているみたい」とか。
現在の様子を表すので、「~たがっている」の形を使いますね。
他には「彼女と話したそう」、「彼女と話したいみたい」なども使えます。
時々、日本人は教科書に書いてある日本語は日常会話で使わないと言いますが、私はそうは思いません。教科書の表現が基本にあって、それが話し言葉に変化しているだけだと思います。
例えば、「勉強しなければなりません」という表現はいつも使われる訳じゃありませんが、それが変化して、「勉強しなくちゃ」とか、「勉強しないと」とかを使っているんですね。
日本人はそういう点にあまり気が付いていないと思います。
岡本先生の分かりやすい説明のお陰でやっと「〜てある」の文系が理解を出来ました。
「Aは単純ですね。「私はワインを買った」という私の行動を表わしているだけです。Bは「私はワインを買って、それは今、家にある」という買った後の状態に視点が置かれています。」を読んで、「あっ、なるほど!」と快哉を叫びました。
本当にありがとうございます。いい勉強になりました。
pushindawood san,
わかってもらえて、よかったです。
例えば、「夜ご飯を作った」「夜ご飯ができた」というのも話し手の視点が違います。「作った」はその行為に、「できた」は結果や状態に視点が置かれていますね。
コメントを投稿